私が不動禅少林寺流拳法に入門して実感するのは、技の奥深さと説法の重要さです。今は亡き三十二世御宗家霊雲臥龍先生を師とする伊藤博龍先生の門下生として、私は六歳で入門しました。
不動禅少林寺流拳法は肉体の鍛錬、技の習得、様々な場面での対処方などは勿論の事、精神面での修養に重きを置いた説法などの教えがあります。現在、新聞テレビなどで世間を騒がせている事件の多くは、自己の利の為だけを考えた結果だと思います。
人間が人間として生きて行く限り、社会のルールを守り踏まえて行動する事が大切です。つまり天地自然の真理の体験者として多くの人と接触し、明日の安らぎと喜びを願って互いに助け合い、人として生を受けた以上人間固有の智慧を磨き上げる事です。
いかに個人の精神、理性ある自己統制が大事な事か。幸、不幸は自己の心の育て方、使い方にある事を改めて考え直す時代に来ているのではないでしょうか。このような世相にこそ不動禅少林寺流拳法の精神、技と説法(自己にとらわれず広い視野で物を捉える事、物事の裏を見極める事のできる精神を養うなど)という武道の真髄を広めることが必要なのではないでしょうか。
武道の修行とは精神的にも自分自身を乗り越え、自分自身に勝つ事、自分との戦いであると考えています。 合 掌
桜木分院が開院してからすでに三十数年が過ぎ、思えば随分長い時が経ったものだと、あらためて当初の頃が思い出されます。
大阪府立体育会館で全国大会が行われていた頃、毎年のように仕事を終えてから皆で貸切の大型観光バスで夜に千葉から出発、 朝、大阪府立体育会館に到着してすぐに午前中の予選に出場。今考えると随分と無茶なスケジュールでの大会参加でした。
今ではその頃の門下生が子供を連れて入門に現れます。歳を取るわけですね、すでに還暦を過ぎこれまで大した病気も怪我も無く来れたのは博龍先生をはじめ、先輩たちが熱心に指導してくれた拳法のお陰かと思います。
人生、まず何をやるにしても心身ともに健康である事が大切だと考えます。もちろん勉学もとても大切な事ですが、アタマだけでなく心と躯も鍛えましょう。
自分の身体が動く限りは若い門下生と一緒に稽古で汗を流し、今まで通り現役で道場に立ち指導にあたりたいと思い、これからも精進を重ねたいと考えています。
千葉教室の増田と申します。稽古は願文、動禅経を唱えてから始めます。読み方も難しく理解も大変です。実践するのはさらにです。どの文言が好きとか嫌いとかはありませんが、「拳禅解得苦海鉄船」を心に置いて稽古しております。
動禅経のような気持ちを日々の中でも実践できるよう、精進したいと思っています。 合 掌