日本古伝正方 不動禅少林寺流拳法

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感謝の気持ちを忘れずに

 今の世の中の動きの速さには驚くべきものがあります。反面、その流れに呑み込まれ、夢もなく、目的もない若者たちが増えているように思えてなりません。
 このままでは、日本の未来はありません。はっきりした自分を持ち個性溢れる有能な若者が増えていかなければこの国は滅びてしまいます。
 私は、不動禅少林寺流拳法を通してこのような健全で正義感溢れる有能な若者を育てることを目的にして指導をしています。そして、私自身も人としてもっともっと成長する為に日々精進しています。
 極寒の冬、酷暑の夏でも休むことなく鍛錬することで、強靭な肉体と精神力を養うことができ、バランスのとれた理想の若者になると信じ指導しています。
 現に私の道場から育って立派な社会人として各方面で活躍している姿を見るにつけ、不動禅少林寺流拳法の指導者としてこの上ない喜びを感じています。
 私は門下生が互いに切磋琢磨し、助け合う事の大切さを指導しています。機会があればお近くの道場で門下生の日頃の稽古を是非ご覧下さい。また皆様方からの温かいご厚情とご支援に心より感謝申し上げます。     合 掌

連盟総本部会長 博龍館館長 伊藤博龍 照道士
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不動禅の歴史

 不動禅少林寺流拳法の歴史は古く中国は河南省嵩山少林寺に始まります。インド、カピラ国王城の王子であった釈尊(歴(れっき)とした実在の人物で、キリストよりおよそ五百年以上前)は武芸の達人で、クシャンチ=デーパについて武芸十八般を修められ駿馬を叱咤し鉄腕を鍛錬して国中勇健の第一位の名を得てなお弓は競射のおり鉄鼓数個を射抜いて拝観の民衆に舌を巻かせた程の達人でした。
 デーヴァダハ城主の姫を妃に迎える時は王や姫の前で各種の武芸を披露した事が書かれています。仏門に入られてからは主旨が変わって宗門の心身鍛練の法、正法護持練胆護身破邪顕正の大力徳としてまた提婆の経脈秘法に基づく医療衆生済度不傷不殺の経行、即ち動禅行として伝えられました。
 達磨大師(ダーマ=パーラ、釈迦から二十八代目)は、東方に誠の正統仏教を広めようと、インドから中国へ数々の苦難を味わいながら海路三年の月日を費やされ、ようやくにして南朝の梁の国の武帝に会って淡々と真の教えを解かれましたが、国の違いは如何ともしがたく武帝を教導する事が出来ませんでした。遂に諦め揚子江を渡って北の国(魏の国)に入られ、(西暦475年頃)魏の国の嵩山にある少林寺に入って正統仏教の講義をされ、多くの学僧達に正当仏教の真の教えを説かれましたが厳しい毎日の修座に体は弱りさすがに求道の志堅固な門弟達も一人倒れ二人倒れ下山も止むなき有り様になったので大師は、「もともと法(真理に近づく為の教え)というものは心を育てるものであるが体が弱っては仏心を修める務めはおぼつかない。私が修めた易筋経によってまず体を丈夫にせよ、仏心を一杯に詰め込む袋が弱くては、皆こぼれてしまうではないか!」と身体袋を丈夫にする為に拳法(養い育て悟りの法)を導入され、禅の教えと拳法を一つ(拳禅一如霊肉一体)にした動禅行として伝授されました。その教禅の新風は理論に明け暮れる教義にもの足りなくなっていた若い修行僧達にとって我が意を充たす仏勇として受け容れられ、たちまちにして万波の如く広まりました。そして少林の拳法と俗間の口端にのりだしたのは今から千三十年位前、達磨大師が教えられてからは何と九十年程も後のことでした。唐の始め頃(西暦618年)に起きた戦乱に秦王後の宗を頭とする数人が助勢して戦陣に潜入し王世充の姪、仁則を捕縛し功績をあげたのが始まりとされています。その頃から教外別伝門外不出が建前の法も一般民衆の中に溶け込んで心の拠り所となり鍛錬護身の術として広く知られるようになりました。そしてその名を伝法の寺名を取って少林寺拳法と呼ばれるようになりました。

 不動禅の初祖となられた大智禅師は曹洞(曹洞宗のこと)の蛍山禅師に師事苦禅練行八年の務めをした人です。その後中国行脚を師に申し出て許され、当時の中国は南宋が滅びた混沌とした時代であったにもかかわらず正和三年(1314年/鎌倉時代)に中国に渡り霊山少林寺の真風にあたり在元十有余年(11年〜12年)の間あらゆる教えを体得して帰国された後、永平六代(曹洞宗の六祖)を継承され永平寺(福井県曹洞宗大本山)に留錫された禅師は宇蛇寺を開山され後に菊池の心身共の師範となられ、意あって長崎に体休されそこで忽然ととして動禅による「教行証」の霊肉一体を説かれました。
 系 統(太唐求法沙門伝法継承系譜)
  大智禅師−禅古−紹遠−秀香−了好−慧英−慧廉−慧納−令峻−
  慶喜−志願−等織−宗育−梵清−正了−了達−單山龍海−仙岳祖龍−
  了仙−峻慧−岳禅−慧蘭尼(慧達)−大龍岳禅−龍虎岳−嚴慎−
  芳嚴−了慶−雲岳蔭龍−大仙祖徹−大忍茲観−西雲天光−霊雲臥龍−
  少林康龍 と法脈を持続し伝法されました。
 三十二代霊雲臥龍宗家は七歳の時、虚弱な体質を心配した両親に先師西雲天光和尚のもとへ体を鍛えるのが第一と預けられ、師と共に山中の草ぶきの小屋に住み始め厳しさの中に慈愛溢れる指導を受け自然の立木を相手に武技の稽古を積み、現在の人が想像も出来ない修練を重ねて昭和十六年継承行に入り、ついに奥義の総ての秘伝を受け不動禅少林寺流拳法三十二世を名乗ることを許されました。尚、釈迦牟尼仏大和尚を初祖として菩提達磨大和尚は二十八代目にあたり、日本に於ける曹洞宗の初祖道元大和尚(禅師)は、菩提達磨大和尚を初祖として二十四代目にあたり、不動禅少林寺流拳法の初祖大智大和尚(禅師)は道元大和尚(禅師)から数えて六代目を継がれた方です。
 昭和45年の日本万国博会場での公開演武を始め、つくば博、アメリカ、ヨーロッパにおける国際親善公開演武など国の内外を問わず、その妙技に対する高い評価を受けています。
 我々不動禅少林寺流拳法を修行するものは禅学を学び人一倍丈夫な体をつくらねばなりません。何故ならば禅学とは悟り(真理)に至る道であり、悟りとは総てが正しく理解出来るという事です。総てが理解出来るという事は悩み苦しみが無くなると言うことであり、自分を信じ自分の一生ををより有意義なものにするために少しでも真理に近づく努力を怠ってはなりません。日々これ修行なり。         合 掌

※不動禅少林寺流拳法とは中国河南省嵩山「少林寺」に源を発し、700有余年の伝統と歴史を持つ拳法修行団体です。

 「一日一生」これは、ある有名な高僧の言葉です。朝、目が覚めた時から夜、眠りにつくまでを一生と例えたときに、その一日はとても大切なものであるということなのです。
 確かに、今日という一日は一生に一度しかありません。二度とないのが今日なのです。だから一日を大切にしようということです。この言葉には私も全く同感です。
 690有余年の歴史を誇る不動禅少林寺流拳法の技と精神は脈々と受け継がれ、私が三十三世宗家としてこれから先の世代へ引き継いでいくわけですが、日本中に伊藤博龍先生のような立派な指導者が自らも日々修練し門下生の指導にあたっています。この地道な努力がこれからの歴史を刻んでくれるものと確信しています。
 勿論、私も昨日という過去から反省を、今という時を大切に、明日という未来に夢と希望を持って日々鍛錬し、自身に磨きをかけることで不動禅少林寺流拳法が未来に輝き続けることを願っています。

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近年のあゆみ

1963年
昭和38年

05月 全日本空手道選手権大会、招待演武
10月 日本武道祭出場演武
1964年
昭和39年

05月 東京オリンピック記念、全日本武道選手権大会
10月 東京オリンピック国際競技大阪大会
1965年
昭和40年

11月 ドイツ海軍神戸寄港、歓迎演武
1966年
昭和41年

04月 大阪府下剣道大会招待演武
1967年
昭和42年

04月 大阪府下剣道大会招待演武
1968年
昭和43年

04月 大阪府下剣道大会招待演武
10月 琵琶湖大博覧会武道大会招待演武
1969年
昭和44年

04月 大阪府下剣道大会招待演武
09月 訪米親善演武団
1970年
昭和45年

03月 大阪府下剣道大会招待演武
04月 日本万国博記念(大阪)EXPO'70 日本武道演武大会
1971年
昭和46年

08月 日本万国博御祭り広場日本武道大会、招待演武
09月 全日本古武道大会(大日本武徳会主催)
1972年
昭和47年

03月 大阪府下剣道大会招待演武
09月 全日本古武道大会(大日本武徳会主催)
1973年
昭和48年

05月 大阪府警本部逮捕術指導員に対する講義
1974年
昭和49年

03月 大阪府下剣道大会招待演武
04月/05月 大阪府警本部逮捕術指導員に対する講義
07月 エキスポ’74スポーケン(米国)招待演武
10月 全日本古武道大会(大日本武徳会主催)
1975年
昭和50年

03月 大阪府下剣道大会招待演武
10月 全日本古武道大会(大日本武徳会主催)
1976年
昭和51年

03月 大阪府下剣道大会招待演武
05月 大阪府警本部逮捕術指導員に対する講義
06月 フランス大統領来日、大阪府警にて演武
10月 全日本古武道大会(大日本武徳会主催)
1977年
昭和52年

03月 大阪府下剣道大会招待演武
05月 大阪府警本部逮捕術指導員に対する講義
10月 西独より招待、二ヵ月間拳法指導
1978年
昭和53年

03月 中華民国、国術世界大会出席
09月 全日本古武道大会演武
1979年
昭和54年

10月 中華民国、国術世界大会より招待出席
1980年
昭和55年

03月 大阪府下剣道大会招待演武
05月 大阪府警本部逮捕術指導員に対する講義
07月 第三回(於ハワイ)中国国術世界大会演武
1981年
昭和56年

06月 政治評論家、藤原弘達氏との対談(禅談義)
1982年
昭和57年

04月 台中に於いて国術少林拳アジア大会出場
05月 近畿2府4県の警察逮捕術指導者に対する指導
1983年
昭和58年

03月 大阪府知事をはじめ政財界関係者より「世界最高の達人」として表彰される
04月 中華民国国術世界大会(於台湾)より主席として出席
10月・11月 大阪城築城四〇〇年祭に招待され公開演武
1984年
昭和59年

08月 中華民国国術会より招待
1985年
昭和60年

01月 日仏親善文化交流使節団演武(パリ・ニース)
08月 国際科学技術博覧会(科学万博つくば'85)公開演武
1986年
昭和61年

01月 欧州親善文化交流使節団演武(マドリード)
1988年
昭和63年

08月 日中親善友好使節団演武(於少林寺)